吉祥寺雑学講座


吉祥寺の名前の由来

北口の写真 「吉祥寺」というからには、そういう名前のお寺があるんだろうと思っている人がいるようです。吉祥寺とともに「中央線3寺」と呼ばれた国分寺、高円寺にはそれぞれ同名のお寺がありますが、吉祥寺には、残念ながら「吉祥寺」というお寺はありません。実は、吉祥寺というお寺は駒込にあり、江戸時代の大火とその後の都市整備のあおりを受けて、その門前町の住民が移り住んで開拓したことから、「吉祥寺新田」という地名になったそうです(駒込の吉祥寺は現存しています)。ちなみに、周囲には、神田連雀町の住民による連雀新田(三鷹市下連雀)、芝西久保町の住民による西窪新田(武蔵野市西久保)と、似たような由来の街があります。そんなことですから、「吉祥寺」というお寺を探して、吉祥寺中を探し回っても無駄です。ときおり、五日市街道手前にあるお寺群のことを「吉祥寺」と信じている人もいるようですが、あれは全然別物ですから、くれぐれも勘違いしないように。なお、そのうちの1つの月窓寺は駅近辺の一大地主さん。そのため、全国の宗教法人所得ランキングでも堂々第3位に入るほどとか!

武蔵野市と三鷹市

市境の写真 吉祥寺のある武蔵野市と、お隣りの三鷹市は、東京の地図を見るといつもワンセットで載せられています。吉祥寺駅から数分でたどり着く名所・井の頭公園の池のあるあたりは、吉祥寺駅からあまりにも近いので武蔵野市内だと思いがちですが、ここは三鷹市の領土です。七井橋通りを南下して、公園へ降りる階段を歩けば、そこはもう三鷹市内なのです。ところが、公園に入って池沿いを西に向かってぐるりと回っていくと、再び武蔵野市に戻ってしまいます。かように、武蔵野市と三鷹市は分離不可能なくらい一体化してしまっているので、地図上で「ふたつでひとつ」にされてしまうのもうなずけます(市外局番も同じ0422ですし……)。過去には何度となく両市の合併話があったそうで、武蔵野市がその気の時は三鷹市にその気がなく、三鷹市がその気の時には武蔵野市にその気がなく……とうまいこといかず、結局はなにも変わらなかったということです。さて、吉祥寺駅の隣、三鷹市の看板である三鷹駅の構内には、武蔵野市と三鷹市の市境が斜めに引かれています。名前は「三鷹」駅でも、その北口は武蔵野市なのです。三鷹駅は乗降人数こそ吉祥寺に劣るものの構内は広いし、特別快速どころか特急「かいじ」まで止まってしまい、総武線・東西線直通電車の始発であるという非常に便利な駅で、三鷹市民はささやかな誇りに思っているのですが、その敷地の半分を武蔵野市にとられているのを秘かに悔しがっています。

井の頭公園の噂

弁天様の写真 カップルで井の頭公園に行くと別れることになる…という噂がまことしやかに語られています。井の頭の神様は弁天様なのでカップルを見ると嫉妬する、というもっともらしい根拠もあります。しかし、休日、井の頭公園に若いカップルがうじゃうじゃいるのを見てごらんなさい。すでに結婚してりゃ別ですが、そうでない連中が、みんなそのまま結婚するまで付き合い続けるように見えますか。彼らの何割かは、井の頭公園に来ようが来まいが、どーせいずれは別れるのです。テメーらの勝手な別れ話を公園のせいにしちゃ、そりゃ弁天様だって可哀相ってもんです。

住民のオアシス?井の頭公園

井の頭公園の写真 井の頭公園といえば、判で押したように「武蔵野の面影を残す」と言われますが、昔の武蔵野を見たことがないので本当のところはわかりません。国木田独歩は『武蔵野』の中でほとんどロシアの原野同然であるかのように書いていたようですが…。公園の中心の井の頭池ではボート遊びができますが(普通の手漕ぎ式と自転車みたいに脚で漕ぐヤツの両方があります)、休日はボートだらけになるので、隅っこに追いやられて出られなくなったりしないように注意しましょう。池の周囲には桜も多く、桜シーズンは一大花見会場となります。週末の夜は吉祥寺ビジネスマン、昼間は地元住民や大学生が花見を繰り広げ、酔っ払い集団の巣窟と化します。かつての御茶ノ水の水源だった井の頭池も、いまは結構汚いので、酔っ払っても飛び込んだりしないように。ところで、井の頭公園には上野や多摩と並ぶれっきとした都立の動物園である井の頭自然文化園があります。バカにしちゃいけません。ちゃんとゾウ(トシとってヨボヨボだけど)もラクダもいます。サル山だってあるし、ねっ、ホントに動物園みたいでしょ。決して「井の頭家畜園」ではありません。リス園では、運が良ければリスと戯れることもできるでしょう。夕方の閉園間際に行くと、たそがれた気分も味わえますから。というわけで、「俺たちの旅」をはじめとして数限りないドラマのロケにも使われた井の頭公園は、地元の皆さんの憩いの場。「散歩する楳図かずお」も隠れた名物です。

吉祥寺の商店街

プチロードの写真 吉祥寺の商店街は、北口を出てまっすぐ 伸びるサンロードと、直角に折れて西へ伸びるダイヤ街が中心です。ダイヤ街は、キムラヤ、ロヂャース、マツモトキヨシ、100円ショップなどが並び、ディスカウントロードとなっています。周囲には、誰がつけたか、元町通り(それじゃ横浜だろ!)、ペニーレーン、プチロードなど恥ずかしい名前の通りがたくさんあります。基本的に、井の頭通り、吉祥寺大通り、五日市街道、吉祥寺通り(公園通り)の4つの大きな通りに囲まれた四角形が商店の中心地なのですが、最近は吉祥寺通り西側の東急百貨店近辺や中道通りに、若い女の子向けの店が多く進出しています。さすがにバブル期ほどの勢いはないものの、吉祥寺商店の新興勢力となりつつあります。なぜか、この進出は西側に限られており、五日市街道の北側方面は住宅地の地位を死守し、頑なによそ者の侵入を拒んでいます。さて、新興勢力の西側に押されっぱなしなのが、吉祥寺大通り東側、近鉄百貨店の裏側にあたる、通称「近鉄裏」です。かつては、中央線一の風俗街とまで言われたそうですが、いまや風俗店は数えるほどしかなく、飲み屋街も心なしか元気がありません(近鉄が三越、そしてヨドバシカメラに変わったいま、「ヨドバシ裏」と呼ばれるようになるのでしょうか?)。

名物ハモニカ横丁街

ハモニカ横丁の写真 北口を出てすぐ正面には、なんとなく暗くて薄汚い(失礼)一角があります。これが、吉祥寺名物「ハモニカ横丁」で、戦後のバラック作りの商店街の生き残りと言われています(本当にそうなのかは知りません)。中に入ると個性的な店が並んでいます。昔からある古い店が多かったのですが、最近は、古い店がオーナーの高齢化などにより減りつつあり、変わりに若い人が、狭いけれど特色ある店を出しはじめているようです(ただし、最近その古くて新しい感がやや鼻につくような雰囲気も出てきたような)。北口バスロータリーはいまでこそバスが余裕で止まれる広さがありますが、ほんの10年くらい前まではハモニカ横丁の続きでした。武蔵野市の本音としては、残った部分も区画整理してしまいたいのでしょうが、この一角に愛着を持つ人も多く、なくして欲しくないもんです

吉祥寺のデパート

在りし日の近鉄百貨店の写真 吉祥寺にはかつて三つのデパートがありました。近鉄百貨店、伊勢丹、東急百貨店です。関東には馴染みのない近鉄百貨店ですが、もともと関東進出1号店として吉祥寺に出店したもので、そのため「東京店」という大層な店名でした。同店の裏手が歓楽街で、いまでも「近鉄裏」という表現が時折見られます。しかしながら、売上不振のため平成13年2月に閉店しました(写真)。その跡地は地下〜2Fまでのつつましやかな三越と大塚家具のショールーム(3F以上)になりましたが、オーナーチェンジ等の理由によりこれらも撤退。現在は吉祥寺の街の規模に不釣り合いなほどのヨドバシカメラマルチメディア吉祥寺になっています。伊勢丹は武蔵野市開発公社の所有するビルに入居しており、比較的最近に耐震補強工事をしたばかりでしたが、やはり売上不振のため平成21年3月に閉店となってしまいました。なお、伊勢丹と同居していた専門店は、伊勢丹閉店後も営業を続けています。ということで、吉祥寺に残るデパートは東急百貨店だけになっています。その他の大規模小売店舗としては、西友、パルコ、丸井、ユザワヤなどがあります。ユザワヤは以前のターミナルエコーという幽霊ビル(テナントが管理者と対立してどんどん逃げていった成れの果て)を改装してオープンしましたが、新たにビルの所有者となった京王電鉄が全面建て替えを決めたため、一時的に閉店。丸井の上部2フロアを借りて仮営業することになりました。また、JR高架下のショッピングセンター・ロンロンが大規模改装とともにアトレ吉祥寺に改称しています。

客引き

夜になると一大客引き密集地帯となるのが駅南口パークロード。ほとんどがキャバクラで、専門職、店員、店の女の子入り乱れてチラシを手に呼び込んでいます。南口は、そのまま井の頭線ガードをくぐり、末広通り入口あたりまでが目につきます。また、駅中央口の交番脇の交差点周辺から中央線沿いの道は旧近鉄裏歓楽街の店の客引きが多数います。キャバクラにフリーで入るなら、素直に店に入るより、客引きにつかまってそこで値段交渉をしてからの方が安くなります。ただし、この方法で、ぼったくり店(吉祥寺にはほとんどないようですが)に連れていかれても当方は一切感知しません。なお、キャッチセールスのたぐいは最近少なくなったようですが、「手相の勉強」と称する宗教団体の勧誘はサンロードを中心にいまなお健在なので注意しましょう。

音楽の街・吉祥寺

曼荼羅の写真 吉祥寺はなにかと「音楽の街」と呼ばれています。主体となるジャンルはジャズ、ロック、フォーク。結局、エスニックだとか自然食品だとかを含んだ、かつて中央線沿線を包んでいた70年代テイストがしぶとく生き残っているということで、高円寺辺りとも一脈通じるものがあります。ジャズについては、3つのジャズ喫茶から始まった流れがあり、そのへんは『吉祥寺JAZZ物語』という書物に詳しいです。「吉祥寺といえばジャズ」の流れを汲んで、毎年ゴールデンウイークに行われる『吉祥寺音楽祭』は、街のそこかしこに特設ステージが組まれ、ジャズを中心としたライブ演奏が行われています(ほとんどがタダ!)。で、フォークといえば曼荼羅ですね。かつての常連、高田渡やなぎら健壱らは、いまだに東口に新たにできたMANDARA2に出演したりしています(元の曼荼羅は今はアマチュア中心)。そうそう、斉藤哲夫がそのものずばりの『吉祥寺』という歌を歌ってましたね。

行列する人たち

なんといっても名物とされるのはダイヤ街小ざさの羊羹。限定何本だか(忘れた)の羊羹を求めて早朝から行列ができてます(ジジババ度高し)。ここは昼間もときどき最中だかなんだかで並んでいますね。その隣の肉屋のサトウでは、メンチカツ(たしか…)を求める人々が並びます(とくに夕方、オバハン度高し)。きくところによると、このメンチカツ、ずっと前からあったんですが、雑誌だかに載ったとたんに並ぶようになったとか。恐るべしミーハーの力。サンロード右手路地のラーメン屋ホープ軒も時間帯によっては並んでいます(若者度高し)が、昔ほどではありません。日本第1号店としてサンロードにできたCINNABONは開店以来しばらくは行列でしたが、ほどなく落ち着きを取り戻し、やがて閑古鳥が鳴き、とうとう潰れました。

オトナのお遊び

吉祥寺の歓楽街は、南口パークロード飲み屋街と、かつては名を馳せた旧通称「近鉄裏」に二分されます(今なら「ヨドバシ裏」でいいのかもしれませんが、なんか「近鉄裏」の方がなじむような気がする)。ともに、キャバクラ、小スナックがほとんどです。性風俗としては、南口にソープランドが1件あります。本番なしの古めかしい、いわゆる「駅前ソープ」だったのですが、平成16年に角海老(ソープランド・宝石・ボクシングという奇妙な多角経営をしているグループ)傘下になって、吉祥寺角海老としてリニューアルオープンしました。その他の風俗は大したことはありませんが、唯一ピンサロだけは複数の人気店がひしめきあい、激戦区となっています。中には、北口にあるのに南口でないと割引券入りティッシュを入手できない店もあります。デートクラブのはしりが吉祥寺だったようで、大したことないように見えてしたたかなのが吉祥寺性風俗かもしれません。いまもデリヘルの事務所は数件あるようです。ピンサロを除けば、性感やイメクラのたぐいはほとんどありませんし、表向きあまり派手な状況ではありません。いまどこにでもある怪しげな中国系マッサージはいくつかあるようですが。

交通機関の話〜JR中央線

中央線の写真 JR中央線が甲武鉄道として開業したのは明治22年。真っ先にできたのが新宿〜立川間で、当時は間に中野、境(今の武蔵境)、国分寺の3つしか駅がありませんでした。吉祥寺駅が開業したのはその10年後の明治32年です。現在では、日本随一の過密路線となった中央線の主要駅となっていますが、特別快速は止まってくれません。オレンジ色の中央線電車は日中は快速運転ですが(といっても、中野以西は実質各駅停車)、早朝や深夜はこまめに全駅に止まって東京駅へ向かう各駅停車が走っています。面白いのは、この早朝・深夜の電車は、方向幕にわざわざ「各駅停車」と書いてあること。対して、日中の快速には何も書いてありません。「中央線といえば快速運転」が一般的な認識だからなんでしょうが、各駅停車には何も書かず快速はその旨表示するのが普通ですから、これは珍しい現象です。中央快速線は日本有数のダイヤ過密路線で、朝のラッシュ時は2分30秒おきに列車が走っていますが、乗降に手間取るため四六時中遅れています。しかも、人身事故がやたら多く、それに車体故障、ポイント故障、信号故障なども頻発して、いまや「日本一遅れやすい線」と化しています。あなたが遅刻をしても、中央線沿線に住んでいれば「またか、仕方ねえなあ」で済まされるかも。しかも、三鷹〜立川間の高架工事の全面運休時にトラブルが発生し、JRの対応の杜撰さもあって予定から大幅に運行が乱れて避難GoGoとなったのは記憶に新しいところ。中央線は三鷹まで複々線になっていて、総武線千葉方面へ直通する緩行線が走っています。この黄色の電車のことを中央線住民は「総武線」と通称します。さらに緩行線には中野から地下鉄東西線に直通する電車も走っており、これをうまく使うと便利です。

交通機関の話〜京王井の頭線

井の頭線の写真 井の頭線は昭和8年、帝都電鉄として渋谷〜井の頭公園間が開業しました。吉祥寺まで延伸したのは翌昭和9年のことです。帝都電鉄は後に系列の小田原急行電鉄(現在の小田急電鉄)に併合されました。さらに、小田急は戦時中の企業統制に乗じた東急総帥・五島慶太の働きかけで京浜電鉄(現在の京浜急行電鉄)や京王電気軌道(現在の京王電鉄)とともに東急に合併されました。その、いわゆる「大東急」が戦後再分割されたのですが、このとき「京王は他所より規模が小さいから旧帝都をくっつけちゃえ」ということで、旧帝都電鉄線は本来の親だった小田急から離れて京王の一員となり、京王帝都電鉄として再出発しました。数百メートル走れば次の駅があるというような郊外路線ですが、生意気にも(失礼)急行が走っており、これに乗ると渋谷まで17分で行けます。中央線で新宿まで行くのとほとんど変わらない時間で渋谷まで行けるのはありがたいところ。途中、永福町で必ず各駅停車に接続します。井の頭線渋谷行き急行は、停車駅の改札や階段の関係で前寄り(渋谷寄り)が非常に混みます。夕方〜夜間のラッシュアワーの吉祥寺行きは、渋谷出発時はやはり渋谷寄りが劇混みですが、永福町でガラ空きになります。平成9年12月、京王帝都電鉄は大手私鉄初の「値下げ」を行い、吉祥寺〜渋谷間の運賃はそれまでの220円から30円下がって、190円になりました。なお、平成10年、京王帝都電鉄は社名を京王電鉄に変更し、井の頭線の発祥会社である「帝都」の文字が消えてしまいました。

交通機関の話〜バス

バスロータリーの写真 多摩地区は東西に比べて、南北の鉄道による移動が不便です。これを補うためにバス路線が充実していますが、吉祥寺もご多分にもれず、北口・南口双方から多数のバス便が出ています。北口は関東バスと西武バス、南口は小田急バスと京王バスが主体。武蔵野・三鷹地区は23区内と同じ運賃体系なので、どこまで乗っても210円均一運賃です。朝のラッシュ時や休日の日中などは五日市街道(北口)、吉祥寺通り(南口)とも渋滞で、バスもノロノロ運転になるのでご注意を。特に、バス専用レーンが設定されない休日の吉祥寺駅南口行きは、終点ひとつ手前の万助橋で降りて歩いたほうが吉祥寺まで早く行けるぐらいです。また、吉祥寺では、武蔵野市の運営(運行は関東バスが受託)によるコミュニティバス「ムーバス」が走っています。既存バス路線から離れた地区と吉祥寺中心部を結ぶために作られ、現在2系統(ともに1方向循環)で小型バスが100円均一運賃で走っており、好評です。この成功が刺激となって、各地で自治体主導によるコミュニティバスが生まれました。武蔵野市では、吉祥寺地区に続いて、三鷹駅発着、武蔵境駅発着の「ムーバス」も設定されました。ところで、吉祥寺駅に北口、南口、空港バスなどが出ている中央口以外にもひっそりとバス停があるのをご存知ですか。吉祥寺大通りが井の頭通りとぶつかる井の頭線ガード下にある小田急バスの吉祥寺営業所行きバス停です。吉祥寺営業所は井の頭通りを数百メートルばかり東に行ったところにあり、吉祥寺駅〜吉祥寺営業所の路線は営業所への回送を兼ねているのでしょう。系統番号こそありませんが、小田急バスのサイトにもちゃんと載っている、れっきとした営業路線です。バス停には時刻表も出ていますし、運賃は100円! しかし、この路線、利用客がいるのを見たことがありません。誰か使ってますか?

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