ある日の競輪場

 押し入れの中から少し昔のスポーツ新聞が出てきました。当然競輪面があって出走表もあるわけなんですが、今から見るとなかなか興味深いですね。競輪なんて始めるずっと前なので、当時はただ読みとばしていたところではありますが。
 そんなわけなんで、出てきた新聞の中からいくつか出走表を引っ張り出して、ここに再現してみることにしました。ああ、昔からスポーツ新聞はよく読んでいたので、捨てないでもっと取っておけばよかった……。なお、その日の紙面しかないので、各レースの結果がどうなったかはわかりませんので、悪しからず。


1984(昭和59)年10月14日 静岡競輪 開設記念(2日目)
好メンバーの揃った記念競輪2日目。小門洋一や松本整が若手自力屋でがんばっています。現在の東西2大「けったいな」解説者、荒木実と小池和博が6Rに同乗していますね。解説者といえば久保千代志も8Rに乗っています。
1984(昭和59)年10月19日 平塚競輪 S級シリーズ(2日目)
平塚のS級シリーズ2日目ですが、S級A級ともに準決勝は2個レースで、S級では8Rが敗者復活戦になっていますね。これはいまの記念での準決勝Cみたいに誰か1人勝ち上がりってことなんでしょうか。9Rでは当時弱冠20歳(!)の若手・本田晴美がド本命しょっています。
1984(昭和59)年10月19日 西武園競輪 S級シリーズ(2日目)
上の平塚と同じ日、当時は500バンクだった西武園のやはりS級シリーズですが、こちらは遠征勢なしのオール東日本シリーズになっています。鉄人・黄金井光良もまだ(すでに?)50歳で、A級1班を張っています。S級では現解説者の工藤元四郎、フラワー総帥・山口国男らの名前が見えますね。
1984(昭和59)年10月23日 京王閣競輪 普通開催(3日目)
平塚、西武園の4日後の京王閣ヒラですが、普通のB級戦ではなく54期の新人リーグをやっています。丸山敏浩はこの頃から負け戦で逃げまくっていたんでしょうか。1期上の53期の大物ルーキー・木野内高がA級で走っていますが、準決勝で失敗したようで特選回りです。
1985(昭和60)年12月2日 小田原競輪 普通開催(1日目)
小田原のヒラ開催初日。B級予選の1358mというと33バンク4周戦ですね。33バンク4周のトップ引きって、なんかラクそうだなあと思うのは私だけ? B級レースは期前をはじめ1ケタ期がうじゃうじゃいます。
1986(昭和61)年12月8日 川崎競輪 S級シリーズ(2日目)
川崎のS級シリーズの2日目。S級A級とも準決勝は2個レースで行われています。地元期待の若手・小門洋一がメインのシリーズだったようですね。紙面には前日初日の結果が出ているんですけど、日曜日とはいえ2万6000人以上も入っています。今は、川崎も記念でもなければ1万人がいいところですけどね。
1991(平成3)年1月7日 立川競輪 開設記念(2日目)
時代は少し下って、平成になってからの立川記念です。目玉であろうミスター競輪・中野浩一、怪物・滝沢正光、地元の大将・山口健治を別々のレースに分けた2日目準決勝。浜口高彰や高木隆弘が若手逃げ屋だったんですね。

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